こんばんは!学校、お仕事、家事、育児、介護など皆様お疲れ様です!連休明けの本日は雨。連休は京都府立植物園や宝ヶ池周辺に行き写真を撮っていましたが、昨日振袖姿の方をお見掛けしませんで振袖姿の方を拝見し短歌を作ろうという野望は打ち砕かれました。という話はさて置き、昨日ご成人の日をお迎えになられた新成人の皆様おめでとうございます!
私(42歳)が成人になった頃は実母が癌で余命宣告を受けていまして、当時は滋賀県に住んでいたのですが大学を三ヶ月くらい休学して母の元にいようと実家のある広島に帰っていました。母が亡くなる約三ヶ月前に成人の日を迎えたのですが、成人式の案内が届いていたのかどうかも分からず、家族皆は母が気掛かりな状況で結局成人式には行けず、元級友と携帯番号を交わすということも無く成人の日は終わりました。姉の成人の日は家族中大喜びで姉の振袖姿をスタジオで写真にしテレホンカードも作り(当時まだバブル気分が抜けない頃でした)、両親は姉の振袖姿のテレホンカードを配り歩かねばと目尻を下げっ放しでした。仕方の無いことではありますが、自分の成人の日は何も無い日でしたし誰一人成人おめでとうの言葉を掛けてくれることはなかったです。と書くともうイイ歳して今更過去のことをクヨクヨしてという話になりそうですね。しかし、意外にもSNSで自分の成人の日は何も無くてという話を幾つかお見掛けしまして、自分だけではないのだなと成人の日に対しての凝り固まった感情が和らぐような気がしました。そうしまして新成人の皆様に心からおめでとうございますと改めて言えそうな気がしまして、2018年1月15日の本日のブログは成人の日の翌日ですのに成人の日ムードでお届けしています。ムード。ムード。ムード。ま。ままま。いいじゃん。ええやん。
成人の日、20年暮らしてこられての節目とも大人として暮らす入り口とも言われますが、20年よく頑張ってこられました、これからも頑張っていきましょうという意味でもう「成す日」という言葉を使っていいじゃん、ええやんと思います。茄子をナスと言うかナスビと言うかですが、頑張って暮らすの意味は常に気を張って何かしているの意味ではなく使わせて頂いています。そんなね。人間常に気を張って暮らしていたら疲れてしまい、やる気が削がれたりアイディアも煮詰まっちゃうよと思ってしまうのです。
ええと、それでは成人の日の話から逸れます。私は三年前に広島から京都に越してきましたが、今喋る言葉が広島弁過ぎることが悩みです。昨日兵庫県の友人と電話をしていまして、彼女もいつの間にか周りの方の影響なのか地元の言葉から少し変化していまして、私は京都で京都の方に囲まれたお店でスマホ片手に広島弁をベラリベラリと喋っていました。ええと。「ええやん」と40代で京都にやって来て言ってもいいのかと悩み、かと言って広島風に「いいじゃん」だと関西圏では「じゃん」問題もありますように友人から聞いています。10代の頃に関西の友人から関西では「じゃん」と「さー」は止めた方がいいよとアドバイスを受けたもので、大人になった今、周りの大人の方はこの七川という人は他所から来たんだろうと「じゃん」も「さー」も受け止めて下さいそうです。20代の頃は京都風に喋っていたつもりで広島に住むことになった時に「関西風に話さない方がいいよ。むしろ標準語で話した方がいいんじゃ」的に言われ、標準語風で話していたつもりが再び京都へと越してきまして、最初はいいけど京都に住むならそろそろ京都らしさを考えてね!なのか。それとも、あなたは余所者だから京都弁を話のはよしてね!なのか。それとも、エセ京都弁を見様見真似で話すくらいなら標準語で頼むよ!なのか。その辺りが分からずにいます。もし海外に住むことになったとして、最初は下手なその国の言葉を懸命に話そうとすれば皆さんが聞き取ろうとして下さるかもしれませんが、本当に住んでいこうとするならばそろそろ上手にこの国の言葉を話してくれよとなることかもしれません。しかし、日本の場合は聞き取ろうとまで耳を寄せなくとも日本語であれば通じるのでして、また、京都は大学の多い土地ですので多くの地域の方も住んでいらっしゃいますし、観光の方も多くいらっしゃいますので暮らしてゆく中で京都弁以外の言葉を耳にすることも多いです。ううーん。京都の方は京都弁以外の言葉にも慣れていらっしゃって受け入れて下さるかもしれません。しかし、それに甘えていつまでも広島風でいいのかとは思うのです。しかし、広島風に暮らすのはまずいかもしれませんが、広島弁を貫くのは「あの七川という人は広島弁なんだね」と認識されるだけで「あの人はああいう言葉の人」と思って頂けるかもしれません。ううーん。その辺りは京都の方にお聞きしてみたいようで、京都の方はお気遣いから遠慮がちにお話下さるでしょうし、かと言って本音的なことをSNSで探すのもどうかと思います。その本音的なことは一人の方の(或いは数人の方の)本音的な意見であって全てではありませんような。
そうです。もうイイ歳ですので同級や年下の方にパパッと格好の良いアドバイスができたら良いのですが、正直自分の経験値では偉そうなことを言っても説得力が無いのもありまして、あまり誰かにアドバイス的なことは出来ないのだなと気付きまして。それと同時に出来るだけ過ぎたお節介は言わないようにしようと思っています。大人なら発言に大なり小なり責任を持った方が良いのかと思いました。もしもの例えです。もし私が友人の子育て方針に口を出したり子供さんはこう思ってるかもよなどと言えば、旦那も子供もいないあなたに何が分かるんだという話にもなりますような。また、もし友人が私の意見をよく聞いてくれたとして、だから今度はあなたの言う通りにこうしたけど結局子供は悲しむことになったという話になれば私は責任が取れません。けれど、そうだからと言ってずっと挨拶と天気の話を繰り返しているのも何か違う気はします。私の話もせねば相手はひたすら自分の話をせねばなりませんようですし、相手の話を聞くだけでは私が相手のことを根掘り葉掘り聞きだそうとしているようで具合が良くないでしょうし、話が膨らんでゆくことを望む時もあれば、今は話をパパッと終わらせたいという時もありますでしょうし、とあまり書けばもうややこしい、ややこしい。そこら辺りはもう信頼関係と言いますか、お互い様と言いますか。それぞれの個性や事情や都合もあるような。よし!それではまとまりなく本日はこの辺りで。
それでは皆様、良い一週間をお過ごし下さい。いつもありがとうございます!
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