こんにちは!学校、お仕事、家事、育児、介護など皆様お疲れ様です!もう12月も18日。中旬から下旬になりそうな予感のする頃。街や町はクリスマスの飾り付けやクリスマスソングなどでクリスマスの雰囲気でキラッキラですが、大人はやれやれ年末だぜ!あれこれ家の用事もあるぜ!と何かと慌ただしくなさっていらっしゃるような。
私は過去に何回か引越しをしました。何かの理由でその土地で引越しますとイエーイ!新生活だ!と思う気持ちと、元住んでいた場所にホームシックになるような気持ちとありますような。次第にその土地に慣れていきその土地が好きになり、けれどある日「私はよそ者なのだ」と思い知らされるような出来事で沈み込みましたり。ここの土地にせっかく引越してきてこの土地が好きになったのに、いきなりその土地に突き放されるようでやりきれなくなり。そうしまして新生活や引越しなどがありましてもあまり過度な期待をしてはいけないと思うようになりました。しかしです。ある時期を過ぎるとその土地の良さを更に知り、優しさに触れるように思います。運転でも慣れた頃が危ないと言いますが、新しい土地や家や部屋にしても慣れた頃に少し色々ありまして、そうしてまたそこの愛着を感じたりしてゆきますような。
私は現在賃貸の部屋に住んでいますが、あまりにもあれもこれもと条件を満たし過ぎている夢叶うような部屋に越したとしてもそこでバラ色の生活が待っている訳ではないことを何となく感じています。どこの土地か。どこの家か。どの部屋か。もっと駅近くだったら、もし大きなスーパーの近くだったら、もし南向きの部屋だったら、もしエレベーターのある建物だったら、もし宅配ボックスのあるマンションだったら、もっとゴミ出し自由のマンションだったら。などなど。もっと欲を出せば、もし分譲マンションだったら、もし2DKの部屋だったら、もし書斎的部屋をもう一件借りられたら、などなど。思うことはあれどもしいきなり神様がこの条件に満たす部屋を今の賃借料と同額で貸して下さったとしてもバラ色の生活が待っているとは思えません。何故かと言うともっと便利で快適になるかもしれませんが、そこで私は何をして何を思い何を考えるのかということなのです。例えば何かの切っ掛けでまた引越すことがあったとしましてもこの条件は譲れないにしてもここは我慢する、などで乗り切るしかないと思うのです。もっと欲を言えば車庫付きの持ち家で旦那様と子供数人とペットとお庭のあるような生活がしたいと思いますが、悲しいかな現実は賃貸の1Kで独り朝冷蔵庫から駄菓子のビスコを取り出し(食べ物を収める場所が無いので冷蔵庫にビスコも入っています)キッチンでパクついて「あ!もうこの時間!出掛けなきゃ!」とドアを開け出て行くような生活です。eeto。つまりは隣の芝は青いと言いますが、人のあれがいいな!と思っていてもその人にも悲しみや苦しみは勿論おありでしょうし、ここが不満でここが不便だなどお住まいに関する悩みだってゼロではないかもしれません。私もいつも今住む部屋に不満ばかり思って暮らしている訳ではないのですが、ある程度自分の今の環境に対する不満なども「仕方ない」と思って暮らしてゆくしかないように思います。つまりです。いつも「あれが不便!あれが不満!」など嘆いて暮らすよりですよ。ある程度そこは仕方ないとして「ここが便利!ここが良い!」と現状に納得して暮らす方が気持ちのストレスも減りますし不快より快を多く感じる方がお得ではないでしょうか。どの土地の方も。どの家の方も。どの部屋の方も。不満が無い訳ではないにしましても、あまり愚痴愚痴言って暮らすより「ここのこれが素敵だね」と暮らしてゆく方がお得だと私の中の電卓がはじき出してしまった今です。ありゃー。上手くない言い回し(笑)
eeto。気の持ちようという言葉があります。知らなかった場合を除いてあまり精神科のご病気の方にこの言葉を使うのは好きではありません。医学的な何かの理由で精神のご病気でいらっしゃるのに気持ち次第だよ!そんなに暗くなっていてもね、もっと元気に明るくいこうよ!と話し掛けてもその方は医学的な何かの理由でご病気でいらっしゃるからです。しかし、もっと気の持ちようという言葉をこのブログ風に見てみますと。現状にやたら愚痴愚痴言って過ごすよりも現実を受け止めながらある程度楽しく過ごそうとする方がお得でしょう!となる訳です。愚痴愚痴だらけの一時間と何とかこれを済ませたらあれをご褒美にと思いテキパキこなそうとする一時間と。どちらがお得な一時間でしょうか。とは言え私でしたら実母を亡くした時には泣き崩れてその後の悲しむ時間も相当でしたから、そうした時間が勿体ないですとか無駄だとは思いたくないものです。そりゃ悲しいものは悲しいですもの。しかし、その悲しみは自分だけの悲しみでもなく、妻を亡くした父も悲しかったでしょうし、娘を亡くした祖父母の悲しみもあり、また、友人も親御様を亡くした時に「やっと私にもアリゴの悲しみが分かったよ。アリゴも辛かったね」的に言葉を掛けてくれました。けれど、悲しみや苦しみを受け止める時間は必要かもしれませんが、しょうもないことで愚痴愚痴しく暮らすよりは出来るだけ楽しもうと暮らす方がお得のようなと言いたい訳なのです。
少しここで自分のことを話しますと私は普段愚痴愚痴言う方ではないとは思うのですが、不満を溜め過ぎて尚クールぶる様子で「じゃ、ちょっと出て行くから」と実家を出て行ったことも何度もあります。思うならば結婚をしたり彼氏と長いタイプの友人を見ていると小出しにプリプリ不満を言うタイプだなと思うのです。私の場合は「嫌われたくない!」と思うこともあり我慢をしたり話し下手なのでここはちょっと直してと伝えても伝わらなかったりもあるのですが、その時険悪状態になったとしても言うことは言うタイプの方が可愛げがあるなと思う次第です。ここで重要ですのはあまりにキレギレになるのでなく小出しにプリプリするタイプの方が相手にその不満が伝わってじゃあこうしようなど考える余地が出来るのではないかと思うのです。我慢に我慢をしいきなりクールに出て行かれてもその相手はどこが悪かったの!?となりますような。もしくは何で出て行ったの!?気分でも変えたいのかな等と相手が思うことあらば私が戻ってもまた私が不満に感じて我慢に我慢をしてとの繰り返し。ここで忘れないようにしたいのは自分が我慢しているということは相手も我慢をしてくれているということなのですが時々忘れそうになります。と言うかです。いきなりクールに出て行くのもよくよく考えたら怖ええええ!と気が付く今40代。大人なのだから小出しに不満を伝えて、次に繋げる方が結局は幸掴むのかもしれないです。嗚呼、羨ましい友人達。色々と事情や都合ありましてあまり私は一人は気楽で身軽でいいね!と言えない暮らしですが、もう仕方ないですもの。今は今。また旅に出ようかと思います。将来の為に預金は有った方が良いにしましても、じゃあ40代はどうでも良いのかと言えばやはり今は今も大事で大切でしょうと思い、何事もほどぼどが良いと言いますが程々に将来のことも考え、程々に今を過ごすということができたらと思います。けど、程々にできない時もありますよね。ほどほど。ほどほど。と自分に言い聞かせ。ホトホト。トホホ。
それでは長くなりましたが皆様にとりまして良い一週間になりますように!いつもありがとうございます!ご精読頂きましてお礼申し上げます。引き続きTwitterやinstagramも宜しくお願い致します!
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