こんばんは!学校、お仕事、家事、育児、介護など皆様お疲れ様です。本日、1月30日ですので明日で1月も終わってしまうので日が過ぎるのが早いように思います。1月~3月までは1、2、3の最初の文字を取り「行く、逃げる、去る」と言いますようで、とにかく早く過ぎてしまう気が致します。学校で冬休みが明けたと思えばテストテストでもう春休み。受験をしたと思えばもう次の学校への準備をしましたり。仕事も年度末で大忙し、新年会をしたと思えば送別会などがもうありましたり、こうして四月になればまた桜が新年度を迎えてくれるような印象です。
本日の写真は去年、京都駅で撮らせて頂いたものです。暗い闇の道の先に薄っすらと光差す出口がある、しかし、薄いの光はどうにも蛍光灯がピカーンと光っているようなめちゃくちゃに明るい光ではなく。などと自分で自分の拙い写真を解説するこの滑稽さ!?いえいえ、それでも気付かぬ振りをして続けるのですが、出口の先は続いている。しかし、出口で終わりではない。そんなことを今、考えています。あのう、人が生きてゆく上で通過点というのがありますよね。ある目標などを達成することできる瞬間もあるかと思いますが、あれがああ叶えばパラダイスの中で生きてゆける、という人生など何処にも誰にも無いという事実がとても悲しくなった時期があります。これだけ今、学校も塾も付き合いもあるけれど、これだけしんどい思いをすればもう後々楽できる、あの中学校に合格すれば自分はパラダイス、と考えていましたら、ただその後も続きに続く勉強の世界に「はあ」と逃げ出したくなってしまったのです。母が「今、勉強を頑張ったら後々楽よ」とチラッと言っていましたので、「よし!今はしんどいけど後で楽できるんだ」とご褒美のようにパラダイスがあると思った12歳の頃。今思えば母の言葉はある意味、資本主義の国の中で基本のような内容でもあったのですが、まだ当時12歳。しかし、考えが甘かったのは当時の自分でした。その後も、これをこうすれば何とかなるだろうと思っていましたら暮らしは続き、その間に苦しみや悲しみが襲い掛かるのです。ブログに時折書くのですが、姉の病、母の死、事故に遭う、自分の長い闘病生活、火災に遭うなどそりゃ色々とありました。これだけ苦労したらもう後はパラダイスになるだろう、などとはさすがに四十代の今の自分は思ってもいませんし、かと言ってもうやってられないよなあ、と何かに逃避したくなるような年代でもありません。いや、そりゃ現実逃避したくなる時はありますが、大人は逃げ出せない程に現実や事実と向き合わねばなりません。出口はあるにしてもそこからまだ先の道は続く。ふうー。厳しいですね。そうしまして、そのような連続の中で「伝えたい」という思いが膨らみ始めました。「七川さんは何故、フォトグラファー志望なの」と聞かれましたら「自分の写真を見て頂きたいから。今は難しくてもいつか出来るだけ広く多くの方に」というようなことをお答えしていましたが、誰かに写真や文章で伝えたい、という気持ちが底にあるからだろうなと本日急にハッとしたのです。ううーん。伝えたいという気持ちは持ち続けられたらなと思います。
人はどこかで希望を持って暮らしていると思います。しかし、あまりにその希望に過大な期待をしますと裏切られることもあるかと思います。そのような訳で過度な期待はしないでおこうかなあ、その方が悔いる時間が少なく済んで省エネだろうなあ、と申しますと少しシュールではありますが。人は大人になるまでの経験上、あまりの期待はそれが成功しなかった時にやりきれなくなるものの、少しの期待もしない暮らしなど楽しくないので損するような、そんなことを身体や心で知るような気もしています。とある会社に就職できたらあの仕事もできてウハウハ、給料もウハウハ、その内誰か男性と出会ってウハウハなど思っていましても、実際に入社できましたら現実は色々とありまして…の前にまずはその会社の面接で落とされるどころか書類選考で漏れてしまったというような現実や事実もあるかもしれません。かと言って、最初からその会社に就職したいと思っているのに「どうせこうなってこうだ」とクールに最後のオチを読み、その会社はもう目指しもしないというのも少し寂しいような。そりゃもう書類選考の段階で漏れてしまう結果がついてくればハーッと落ち込むだけ損だった!などと考えるかもしれません。ううーん。最初から受からないかもしれないけど、でも受けてみよう。もし駄目でも例えば別の会社で仕事をしながらそこそこ給料をもらえて、などと考えていればダメージは少なくて済みますが、やはりそれも少しクールなのでしょうか。現実や事実から逃げたくなる時間があっても現実や事実と向き合わねばならないのが大人の世界だと就職の際にも知りますような。そうしてまたどこかに入社しても慣れない仕事、仕事でそりゃもう。ありゃー、しかし、いきなり私は昨年40歳の時点で作家になると言い出したり、今度はフォトグラファーを目指すなどと言い出したり、どうも現実や事実に直面しているというより夢見がちな中年女性、この先を真面目に考えんかーい!と叱られそうです。ううーん。毎日は現実と事実だらけ。またその中で挫折、挫折もありまして、この先も何らかの挫折の体験をしてゆくことだと思います。写真家先生に現実を教えて頂く度にますます現実や事実に向かわねばならなくなっています。七川有子、まだまだ甘いぜ、と笑う人もいらっしゃるかもしれませんし、自分自身も後々にあの時の自分はあれが甘かったと気恥ずかしくなることかもしれません。また、まだまだ私が作った短歌なども作品と堂々と呼べないものは未熟でもある所為で、それでも今の自分にできる精一杯をSNSなどにアップしているのですが、アップするということは広く多く読んで頂けたらなと思うからで、しかし、後々に自分で「自分のあれ、未熟過ぎて恥ずかしい!」と一人で赤面しているかもしれません。それでもコツコツと少しずつやっていこうと思います。
本日のタイトルは「無いもんは無い 有るもんは有る」です。もうこれがこれが!と思う事も出来ないことは出来ない、もう今21時半ですが今日という日の残り時間は3時間も無い、そりゃ無いもんは無いです。しかし、溜まっているしなくてはいけないこと、家に帰れば洗濯物が溜まっていますが、洗濯物は無いぜー、と笑ってみようと洗濯物は実際に溜まっている。有るものは有るので、自分で洗濯をしない限り今度は着る服が無くなってしまいます。結局、望んでも無いものは無い。無きゃいいのにと思う嫌なことも有るものは有るのだから、嫌々でもこなさなくてはなりませんような。しかし、そこに無いものは実際に無いのですが、良い意味で有るものは有るのだとも思います。今手元に美味しいコーヒーが有るのは実際に有りますから、それを飲めば美味しいと思うのです。その美味しいという味もそこに実際に有ります。有るものは有るので、希望は捨てちゃ駄目だ!ということにしたいと思います。
いやー、すみません。このように語ってしまいますが、最近は身体の調子があまりよくなく、ちょっと楽しいエピソード的なものを思い出そうとして無いなあ!となり、何となくの胡散臭い内容となりました。身体の調子が良くない中でも近所に出て撮ったり近くのコーヒー屋さんで写真のことなどをしていましたり、また、四月からの写真関連の先についても悩んでいまして、忙しい日々ではあります。しかし、世間の方も忙しく大変な思いもしていらっしゃる、そうした暮らしの中でその方の休憩の時間の一部分を私の撮った写真などに割いて頂けるということは大変恐縮でもありますが、心より心より嬉しいことです。皆様!ありがとうございます!これからもどうぞ宜しくお願い致します!
それでは皆様にとりまして明日以降も良き日となりますように!七川に関わって下さる方に感謝をしております。七川の撮った写真などに関わって下さる方に感謝をしております。いいねやフォローをして下さる方に感謝をしております。本当に皆様ありがとうございます!
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