ゴウッゴウッ!!!事件(泣)

 こんばんは!学校、お仕事、家事、育児、介護など皆様お疲れ様です!

 受験シーズンですね。ご本人様やお子様やお孫様などご受験なさる方はどうぞご体調にお気を付け下さいね。

 私は大学を受験しましたのが1996年だと思いますが、当時は母が余命宣告を受けていました。実家は広島。私は岡山の高校に進みまして、両親と離れて暮らしておりましたが帰宅する度に弱ってゆく母に、どうか実家のある広島にすぐに帰れる場所の大学に行って欲しいと頼まれていました。それで東京の大学受験を諦めまして関西方面の大学を3大学受験しました。
 時代は1996年。近くて遠い国と言われたアジアに目が向いていた時期でした。戦後、中国や韓国の文化よりアメリカやヨーロッパの文化が日本に沢山入って来まして、私も次第にイギリスのロックなどを拝聴するようになっていましたが、ある日韓国のヒップホップグループをテレビで拝見しました。とても格好良いヒップホップグループで、しかし、当時は日本で韓国のCDを買うのは困難でしたように思います。そこで韓国の文化を学べる関西の私立大学を調べようとしていたところに龍谷大学国際文化学部新設の件を知りました。両親も京都なら大学が沢山ある街だから良いねと勧めてくれまして、実際に通ったのは滋賀のキャンパスでしたが、よく京都の木屋町辺りで友人達と飲み歩いたりしていました。

 ところで。1996年。中国にも興味がありました。これからはアジアと手を取り合ってゆこうという時代でした。NHKでご放映のおありでした山崎豊子先生ご原作の「大地の子」という作品はドラマもご原作も素晴らしいご内容です。第二次世界大戦で日本の敗戦が決まり中国にいた日本人が日本に引き揚げる時に命からがらだったそうですが、子供ならば中国の方も見捨てはしないだろうと泣く泣く子供を中国に残したという中国残留孤児のご内容の作品です。中国の方は当時日本と敵対関係であったながらも日本人の赤ちゃんを見事に育てて下さったというお話で、中国の方のご情と言いますか、中国の方も素晴らしいなと感想を持ちましたり。

 そこで1996年。関西の私立大学の中国語学科も2校受験したのですが、よく覚えていますのが京都産業大学の中国語学科の受験です。広島の母と受験地京都に宿泊する予定が、大学の沢山おありの京都の宿がもう一杯で予約できず大阪のとある宿に宿泊しまして、朝。バイキング形式の朝食がさすが大阪!素晴らしいご朝食を前にして「こりゃ素晴らしい!元を取らなあかん!」と当時の私が関西弁で思ったかどうかは謎ですが(笑)、私は朝のバイキングをしこたま食べて食べて食べまくりました。そして京都産業大学に着きまして、さて受験。
 開始の合図で急にシーンと鉛筆の動く音だけがするような中、急に私のお腹はゴウッゴウッ鳴り出したのです。静かな受験会場で私のお腹はゴウッゴウッと鳴り止まりません。ひたすら小っ恥ずかしいよ!と思ってもお腹はゴウッゴウッ!!!
 そして私は1科目を何とか終えて途中で受験会場を後にしました。当然京都産業大学には受かる訳もなく、事情を両親に説明し辛くいましたが、何とか龍谷大学の国際文化学部に合格していましたのでそちらに入学しました。もし、お腹がゴウッゴウッと鳴り出さなかったたらまた違う学生生活を送っていたかもしれませんが、受験シーズン。皆様も受験日の朝、なるべく食べ過ぎにもご注意下さいね!

 よし!皆様、本日は長くなりましたがお付き合い頂きましてありがとうございました。長いブログの読者様ならあのエピソードか!と思って頂けるかもしれません。それでは良い日々をお過ごし下さい。いつもブログをお読み頂きましてありがとうございます!

セブンリバー2

写真、短歌など活動中、七川有子の「セブンリバー2」はブログ中心に更新中です

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