2019年6月1日、写真の日に

 こんにちは。勉強、お仕事、家事、育児、介護など皆様お疲れ様です!本日6月1日は写真の日です。先日のブログにも書きましたように一眼カメラはしばらくお休みしていまして、iPhoneで撮った写真を編集などしてtwitterなどにアップしています。本日は写真の日なので写真について私が現在とても思うことをテーマにしたいと思っています。写真の話と合わせて例えばの例としてアートの話にも少し触れています。


 先日、とある写真家の先生が写真とは何でどう撮ったかではなくどのような写真かが大切だよと仰っていました。私は一眼デジタルカメラにとても興味を持っていまして、その時期もとあるカメラが欲しいと騒いでいました。スマホやiPhoneのカメラもレンズも素晴らしいけれど、やはり一眼カメラで撮った写真の方が正式ではないのかとも考えていたのです。しかし、今はやはり何でどう撮ったかよりもやはりどういう写真かが一番大事なことのように思います。自分の写真はまだ修行中なのもあり未熟です。しかし、他の方のお写真を拝見していましてもどのカメラで撮ったかではなく、その拝見しているお写真の、お写真自体の魅力を感じるようになったかもしれません。

 一眼カメラの操作も知らず写真の仕事ができるか。とご指摘受けましたらううーん!と考え込んでしまいますが、写真の良さとは何かと考えましたらこれもううーん!と考え込んでしまう時代のように思うのです。何でどう撮ったかも勿論あると思います。超上位モデルのカメラはやはりそのお値段や性能なりに良いのだと思いますし、写真歴の長い方がコツコツ何十年もご撮影になられたらやはりそれだけのご経験分のお写真が撮れることかとも思います。また、暮らす土地を抜け出して旅先でご撮影になられたお写真ですとか惚れ込んだ土地に何度も通われてご撮影になられたお写真もやはりそれだけのお写真になりますように思います。しかし、まだ写真の未熟な者がここで叫べば弱い言葉になりそうですが、何でどう撮ったかもあるにしましても出来上がったものが素敵でしたら、もうそれは素敵なものだと思うようにもなっています。

 例えば油絵や顔料でお描きになられた絵画とパソコンやiPadでご制作なさったアートですが、絵画と言えばゴッホやモネなどの素晴らしい絵画を思い出します。そうしまして、2019年の時代にどのアートが素晴らしいかと言えばやはり油絵や日本画も素晴らしいのですが、パソコンやiPadでご制作になられるようなアートにも私は心惹かれます。過去の偉大な作品も素晴らしい。大御所の絵画の方の絵画も素晴らしい。けれど、いつまでも時代はそれだけでしょうか。2019年の今、アートの世界も広がりがおありのようで例えば40代のアーティストの方がiPadを駆使なさってご制作になるアート、それも今の時代の素晴らしいアートかもしれず、後の時代にあの令和初期の頃のアートならああいうのがあるなと世間で認識されることかと思います。

 一眼フィルムカメラも一眼デジタルカメラも素晴らしい写真家の先生がご撮影時にお使いになられるかもしれませんが、2019年の今、iPhoneやスマホのカメラも素晴らしいと思いまして。筆でお描きになる絵画とパソコンやiPadでご制作になるアート。また、そのアートの方のご年代やご経験なども違えば、アート鑑賞する方のご年代やご経験、また好みも違うことかと思います。つまり何が言いたいかと言いますと、写真なら◯◯しか認めない!というのは今の時代に少々頑固なご発言のように思うのです。芸術やアートの世界も何を使ってご制作になったかではなく出来上がった作品の素晴らしさなどが話題になる時代に、写真の世界も何で撮ったかだけではない広がりがあるように思うのです。出来上がったものが素晴らしいですとか素敵ですとか、それも大事なことだと思うのです。

 私の写真は未熟です。しかし、目標は写真集を出すことだと写真の修行中でして、写真家先生のお写真を拝見すればついつい「うわー!素晴らしい!」という感動も勿論あるのですけれど、この構図がまたすごい!このお写真はどのカメラでご撮影になったんだろう!このプリント方法も魅力的だな!と、ついついシンプルにお写真を楽しむと言いますより勉強させて頂くような気持ちのことも多いです。しかし、多くの方は勉強の為にお写真をご覧になるのではなく、そのお写真が素敵だな!等と楽しむことを目的とされていらっしゃるかと思います。

 例えば写真集ですが、仮に40代の写真勉強中でない女性が書店で惹かれる写真集はどのような写真集かと想像しまして。私なら例えばソール・ライターの写真集に写真修行中ですので色んな理由もあり恐れ入ってしまうのですが、その仮の女性ならば「わー!おしゃれな写真集!」とお部屋でコーヒーを入れて音楽を流しながらご覧になるかもしれません。けれど、写真集は写真修行中の方の勉強の為だけにあるものではないと思います。私の父は70代で、私が父に写真集を送ると考えるとします。その際に富士山をご撮影になられた写真集を選んだとしまして、父も「おお!やはり日本一の山はすごいな!」と写真集を拝見するかもしれません。ええと。私は現在、多少日本の写真家先生と交流させて頂いたりもしていまして、日本の写真家先生のお名前はあまりここでは出せない事情や都合もあります。いきなり2019年の写真の話からソール・ライターのお名前を出すのはおかしくないかい!?富士山の写真集の場合は写真家先生のお名前を出さないのかい!?とご指摘頂くことがあれば、修行中の者の事情や都合だとお考え下さいますと幸いです。

 話は逸れましたが、最初にお話しましたある写真家先生の仰った「写真とは何でどう撮ったかよりもどういう写真か」というその件に戻ります。私は一眼フィルムカメラや一眼デジタルカメラでご撮影になられたお写真否定や批判をしたいのではありません。またアートの例えに戻りますが、絵具や筆でお描きになられた画家の先生の絵画も素晴らしい。そしてパソコンやiPadでご制作のアートも素晴らしい。そう思っていますのに、写真だけ何のカメラで撮ったかだけを気にするのも変だなと思い始めたのです。正直、じゃあお前はこの先iPhoneの写真をしばらく撮るとして、その写真で稼げるのかと問われたら謎なのですが、反対に一眼カメラの操作をもっと学べば確実に写真で稼げるのかどうかも謎だと思うのです。何かを目標とすれば目標が達成できないこともあります。しかし、目標を持つことは何かに繋がるかもしれないと思っています。じゃあお前はiPhoneかスマホでしか撮るなよともし言われましたら、それも否定したいです。つまり色んな方法があって色んなものが出来上がる時代ですので、写真は◯◯しか認めないというソレではなく、多様性の時代と言いますか色々やってみたいと思っている次第です。また、繰り返し書きますが私は修行中の身ですので私が撮った写真は未熟です。未熟なら黙ってろでは面白くないと思いまして、今日はこのような話題をブログに書きました。


 それでは皆様、良い週末をお過ごし下さい!いつもブログをお読み下さいましてありがとうございます!

セブンリバー2

写真、短歌など活動中、七川有子の「セブンリバー2」はブログ中心に更新中です

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