術にはまる術

 おはようございます!学校、お仕事、家事、育児、介護など皆様お疲れ様です。最近、短歌もまたポツリポツリ作っています。短歌と写真を合わせたフォト短歌(写真短歌)がメインでして、歌集や雑誌の短歌がすごい!と大騒ぎするものの、なかなか自分ではそう上手く作れないものだと知りました。短歌も写真も修行中のアレですので!と言い訳をしつつも、その内少しは上達するかもしれませんので気長に見守っていて下さいますと幸いです。 


 写真や短歌の魅力ですが、割と忍術にかかったように、ええと、魔術にかかったように、術にはまる感覚かもしれません、などと。写真を撮れば撮る程、短歌を作れば作る程に魅力にはまるんです。すごい写真家先生のお写真を拝見すればする程、すごい歌人の方の歌を拝読すれば拝読する程に魅力にはまってゆくんです。つまりなんです。写真や短歌の魅惑の魅力にとりつかれるような感じですが、まず憧れの何かがありまして自分も参加してみたりしますとますます魅惑の魅力の世界へようこそとなりますように思います。私は音楽鑑賞が趣味なのですが、音楽制作に関することは全く分かりません。しかし、音楽を拝聴するということに参加しますとますます音楽の世界の魅力を感じます。そして、写真や短歌は実際に撮ったり作ったりしていますので、正直な所、うわー!楽しい!だけではありません。苦しんだり悲しくなったり悔しい思いをしたりもあります。だけれども、その分また写真や短歌のことが愛おしくなるんです。修行中の身の者が言いますのもアレですが、他の方のお写真や短歌も「あ!あそこの風景」、「あ!これはあのカメラでかな」、「あ!この言葉の具合がまた素敵!」等と少々は作る側のことも思いながら拝見拝読します時もありまして、ますます愛を持って拝見拝読しますように思います。


 本日のタイトルは「術にはまる術」ですが、写真や短歌の魅力を知りたいと思えばまずは写真や短歌を愛することなのでは、などと修行中の者が叫んでも少々アレな感じですけれど、愛すればますます魅力にとりつかれ、魅力を知ればますます愛するという作用を今、私は感じているのですが三年後にこれに関して私が何と思うかどうかは謎であります。三年後にはもう少し込み入った話ができるようになっていると良いなと思います。今の自分は上手くなりたいのに簡単にそうはいかない苦しみや悲しみや悔しさがあります。しかし、まだ実際に稼げる立場ではありませんので、現場を知らない立場の者にとっての憧れや魅力は果てしない様で浅いのではないかとも想像します。うーん。写真家の先生や歌人の先生はやはり愛の深さが段違いに深いように感じます。作品を拝見拝読しますと先生の愛の深みを感じますので、現場の第一線の先生の抱えていらっしゃる色々はまだ想像もつかないのですが、お話の中でのそのジャンルといいますか、そのものへの愛は計り知れないように深くていらっしゃるように感じます。しかし、写真や短歌のプロの先生は楽しみながら撮りなさい、楽しんで短歌を作りなさい的に仰います。私が一応プロを目指しているということを打ち明けてもやはりその様に仰います。何故だろうと考えたら写真も短歌も気持ちが表れたり思いを表現するようなものでもありますから、ただいつもしんどい!しんどい!のみを感じるような写真や短歌はご覧になる方もしんどくなってしまうような。だからこそ、写真を撮る側も撮ることを楽しんだり短歌を作る側も作ることを楽しんで、というようなアドバイスをなさるのかな、と今の自分は考えるのですが。


 よし!それでは皆様、良い一日をお過ごし下さい。いつもブログをお読み下さいましてありがとうございます!

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